一式戦は日本軍以外の軍隊で最も運用された日本製戦闘機でもある。外地で終戦を迎えた一式戦はフランス軍、
インドネシア軍、中華民国軍(国民党軍)、中国人民解放軍(紅軍・共産党軍)、朝鮮人民軍に接収された上
で使用されている。中国では共産党軍が関東軍の第4練成飛行隊長林弥一郎元少佐ら日本軍人による東北民主連
軍航空学校での指導の下に、国共内戦において使用。
朝鮮人民軍では戦後の一時期、創設間もない航空部隊の訓練用に二型を運用しており、ソ連機が配備されるま
で使用された。
林弥一郎さんら6人は1985年1月、招待に応じて北京を訪問した。当時、全国人民代表大会常務委員会委員長だった彭真氏は
彼らと接見し、「空軍の航空学校創設の際には、困難な情況にありながら、さまざまな障害を克服し、工夫に工夫を重ねて、空
軍の中核的な力を育成してくださった。その功績はまことに大きい。中国人民はあなたがたに深く感謝しています。私たちは必
ず、あなたがたの功績を中国の空軍史に記録し、子々孫々まで伝え、永遠に忘れません」と話した。
86年2月には、林さんは中国人民解放軍空軍司令部を訪問した。当時、空軍司令官だった王海さんは、林さんの両手を固く握
りしめながら「日本人教官の方々が教えてくれた操縦技術のおかげで、今日の私たちがあるのです。私たちは心から日本人の先
生方に感謝しています。林先生、帰国されたら、私たちの感謝の気持ちを必ず日本の先生方にお伝えください」と言った。
王海さんの家には、日本人形など数多くの日本の友人からのプレゼントが保存されている。毎年の新年には、当時製図を教わっ
ていた西亜夫さんから年賀状が届く。
「日本の友人からいただいたものは、こういったプレゼントだけではありません。彼らは私を大空へ飛ばせてくれたのです。
彼らの仕事をおろそかにしない態度、堅忍不抜の精神から多くの影響を受けました。これは私の貴重な財産です。林さんをはじ
め、たくさんの日本の友人たちは、中国の革命や建設、そして両国の友好に大きな貢献をしました。中国人民はこのことを永遠
に忘れません」
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