65年前に遺体で発見された少年、身元特定 米
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012 2022/12/12(月) 19:44:22 ID:xMP3VZtitk
段ボールの需要は、第1次世界大戦(1914年〜1918年)による産業の活況や、関東大震災(1923年)後の復興などにより一気に増え、「紙箱が木箱より強い」といわれ着実に評価が高まるとともに、木材、釘、帯鉄などの不足もあり木箱から段ボールへの転換が進みました。1940年には、板紙消費量は年間3.6万トンに達しましたが、第2次世界大戦(1939年〜1945年)の空襲により、段ボール産業は、その生産設備のほとんどを喪失するところとなりました。
ゼロからの再出発という試練にあった段ボール産業は、日本経済の復興とともに不死鳥のようによみがえり、戦後の再建に努める産業界において、包装・輸送の面で大きく貢献することになりました。段ボール産業が急速な発展を見せた最大要因として、木材資源保護に対する官民あげての取組みがありました。1951年以降、歴代内閣は「木箱から段ボールへの切替え運動」を大々的に進め、 それが産業界に浸透していきました。
一方、朝鮮戦争(1950〜1953年)の勃発は、わが国の産業界に段ボール包装の重要性を認識させるきっかけとなりました。米国では当時すでに輸送包装の80%を段ボール箱が占めており、本国から送られてくる多量の戦争物資は、段ボール箱で包装されているものが非常に多く、一方で日本ではまだ木箱の全盛時代であり、段ボールはわずか7%にすぎませんでした。この輸送包装の実態を目の当たりにしたことによって、包装産業における段ボールの地位が飛躍的に向上することになりました。
1955年頃には、ビール、酒類、醤油、乳製品、農産物などの分野で木箱から段ボールへの移行が進みました。特に農産物は、食生活の変化により青果物の種類と出荷量が激増したことに加えて、 木箱や竹篭の価格が高騰したこと、出荷作業が共同化・機械化されたことなどから、 急速に段ボール包装へと変わっていきました。
新幹線開通と東京オリンピック開催(1964年)、いざなぎ景気(1965〜1970年)と命名された高度経済成長により 日本中がにぎわうなかで、段ボール需要は急激な発展を見せました。消費生活の向上にともなって、特にテレビや冷蔵庫など家庭電化製品の普及が伸びをリードし
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