ユダヤ人のヘンリー・キッシンジャー氏が決して理解しなかったこと
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001 2023/12/04(月) 20:53:45 ID:zPFsepdTpE
彼の送った生涯は、ありそうにないものだったと同様に、重要な結果を社会へもたらした。ヘンリー・キッシンジャー氏は、ドイツの小さな町フュルトにある小規模なゲットー(強制居住区)で生まれた。祖父母はナチスに殺害されたが、同氏は何とか逃げ延びた。本人と両親、弟は1938年後半に米ニューヨークへ移住した。ドイツを出たいなどとは全く思わなかったが、一家に選択の余地はなかった。
他の多くの避難民と同様、一家には新しい暮らしへの備えがなかった。華奢(きゃしゃ)な体つきだった15歳のヘンリー少年は英語が一言も話せず、将来への期待もほとんど持てずにいた。マンハッタンの公立高校に通い、夜は働いて家計を助けた。同時に会計士になるための準備も進めていた。それはニューヨークに住むユダヤ人移民としての無理のない目標だった。
日本軍による真珠湾攻撃並びに米国の第2次世界大戦参戦は、米国と同様にキッシンジャー氏の運命も一変させた。同氏は陸軍に入隊。ユダヤ教正統派の信仰が根付いた家庭から初めて離れ、米占領軍の一員として再びドイツの地を踏んだ。ここからが、同氏にとって真のキャリアの始まりだった。その後コスモポリタンの賢人としての地位を確立する同氏は、生涯にわたって権力を追い求めていく。さらには米国と世界の命運をも決定づけることになる。後々まで尾を引く、物議を醸すやり方で。
当時の米国の指導者たちが強く求めていたのは、ドイツ社会を熟知しつつ米国に対する愛着も持つ、優秀な若者たちだった。キッシンジャー氏はこの条件に見事に合致した。見た目や雰囲気こそドイツ人的だが(それは生涯変わらなかった)、ユダヤ人としてのその生い立ちは、同氏が決してナチスに共感しないことを意味した。米国人からの信頼をつかんだ同氏は戦後も1年間陸軍に残り、米国の影響下での新たなドイツを作り上げるべく働いた。それは欧州における戦後秩序の土台となった。
陸軍の推薦状と復員軍人援護法のおかげで、キッシンジャー氏はハーバード大学に入学する機会を得た。通常より年長の学部生となったが、戦前では考えられないことだった。難民経験を持つユダヤ人であり、裕福でもないなど、同氏は大学教育を受けるのに不利になる条件を複数抱えていたからだ。ハーバード大でキッシンジャー氏は、欧州から移住した新世代の学生、学者との関係を築いた。彼らは米国が世界を主導するのに協力する決意を固め、新たな全体主義体制による文明破壊を阻止しようとしていた。ここでの体制とはソビエト連邦を指す。
以下ソース(長文)
https://www.cnn.co.jp/usa/35212279.htm...
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