>>10 もしも、民主主義に民族主義の限界があり、
民主主義の極北、鬼っ子=ファシズムを構えて独裁化してもなお、民族主義だけは手放すことができないとしたら?
ヒトラーは民族主義を高揚させ、ユダヤ人を殲滅することしかできなかった。
かれがもしもヨーロッパを支配できた場合、アーリア人以外をどのように統治できたであろうか?
ラテン系イタリアや極東アジア人と組んだのは方便で、
どちらも文化創造種、ゲルマン民族(金髪・青い目でドイツ・オーストリア・北欧に広がる民族)ではない。
だが、ローマ文明に敬意を抱かぬ西洋人はいないとしても、黄色人種など奴隷のなり損ないにしか見えまい。
ナチズムに民族主義をどう料理する力があり得たか?
ナチス親衛隊の長官ハインリッヒ・ヒムラーは、大戦中の日本軍の強さに感銘し、
日本人がゲルマン民族であることを御用学者に証明させようとしたというエピソードもあるにはあるが、
日本との対決の未来も想定していたようではある。
しかしながら、ヒトラーは日本との同盟の価値を最後まで評価し、日本が対ソ戦に加われなかったことを悔やんだ。
「ドイツと日本は一緒に勝つか、それとも、共に亡ぶかである。」(1945年2月18日)
実はヒトラーは日本の皇室制度に最大の敬意と羨望を抱いていた。
おそらくは彼はどこかの段階で民主主義も民族主義もかなぐり捨てて、「帝国」の建設にシフトせざるを得なかった。
それは実現しなかった。
第二次世界大戦はそこにピリオドを打ったイベントだとも言える。
つまり、それ以来、人類が共通して認識し、対応しなければならないのは、「帝国」が不可能な時代なのであろう。
「ユーラシア帝国」は不可能事だと、ドゥーギンが悟らず、ヒトラーよろしく日本とのパートナー作りに色気を出すのは示唆的である。
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