【解説】 自らをピョートル大帝になぞらえるプーチン氏、その思惑は?
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001 2022/06/12(日) 09:52:49 ID:smWafElisA
ロシアのウラジミール・プーチン大統領が、ピョートル1世(ピョートル大帝)を崇敬していることはよく知られている。しかしプーチン氏は今、その「偉大さ」を自分自身にも見出しているようだ。
公然と自分を皇帝ピョートル1世になぞらえ、現在のウクライナ侵攻を約300年前の膨張主義と同一視し、この戦争は領土収奪のためのものだと、これまでで最もはっきり認めた。
ピョートル1世は17世紀末~18世紀のロシア皇帝で、ロシア近代化のほかに大国化を推進。大北方戦争でスウェーデンと長年にわたり領土戦争を繰り広げた。
帝国づくりを目指すプーチン氏のあからさまな野望は、ウクライナには凶報だし、他の近隣諸国にとっても不穏だ。エストニアは、プーチン氏の発言を「全く受け入れられない」と述べている。
プーチン大統領がピョートル大帝に言及したのは、若い起業家や科学者との集まりだった。大統領はこの場でITやテクノロジーの発展について言及する前に、政治と権力について、地政学的な支配をめぐる新たな戦いについて語った。そしてその中で、ピョートル大帝がロールモデル(模範)だと述べたのだった。
プーチン氏は18世紀の大北方戦争を取り上げ、「皆さんは、ピョートル大帝はスウェーデンと戦い、土地を奪ったのだと考えているかもしれない」と語った。
だが、その地域には何世紀にもわたってスラヴ系民族が住んでいたと主張し、「大帝は何も奪っていない。奪い返したのだ!」と続けた。
その上で、「今の私たちにも、奪い返して強化する責任がある」と述べ、笑った。にやりと笑ったと言ってもいいような表情だった。現在のウクライナ情勢と、ウクライナでの目標に言及した発言だというのは、疑いようもなかった。
ロシアは拡大することで強くなったと、ピョートル大帝の治世は証明している。プーチン氏はそう示唆したのだ。
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005 2022/06/12(日) 12:07:05 ID:smWafElisA
006 2022/06/12(日) 12:09:08 ID:1Huzfn/hds
007 2022/06/12(日) 13:01:53 ID:5VXGNLW3Dc
>>4 秋田いぬを秋田ケンと呼ぶて秋田県と混同する恐れがある。犬種でケンと発音するのは甲斐犬くらいだと聞いた。こちらは甲斐いぬと発音すると飼い犬と混同するからだろうか。
どっから在日の話出た?
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008 2022/06/12(日) 13:48:23 ID:/c1zERYfdc
北海道もアイヌ民族が住んでいたのでロシアの物とか言い出してるよねw
膨張主義どころか、ロシアは滅ぶだろう。
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009 2022/06/12(日) 14:55:59 ID:dVapFpqJb.
ピョートル大帝は池に飛び込んで死んだってテレビでやってたわ。
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010 2022/06/12(日) 16:16:58 ID:8fZgamyiQE
Чёрт возьми!Пошёл на хуй!
Убей Путина!
フ.ッ.キ.ン.キ.チ.ガ.イ.ロ.ス.ケ.パショール ナ フイ!
→まさしくテロ犯罪逃亡中の生.野.高.江(1977年1月5日生)と同じ不可触賤民以下のMODOKI生物
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011 2022/06/13(月) 11:22:56 ID:wgUKUs6LIQ
012 2022/06/13(月) 15:42:47 ID:s1MruH9gMA
013 2022/06/14(火) 17:20:35 ID:j5S9gpsUGI
014 2022/06/16(木) 16:38:11 ID:trgsPcmpSc
>ピョートル1世 在位:1682-1725年
綱吉のお犬様 (生類憐れみの令) ~ 吉宗の享保の改革@目安箱とか小石川養生所
水戸黄門~大岡越前の頃だな
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015 2022/06/16(木) 16:42:42 ID:trgsPcmpSc
>ロシアの農民は、遊牧民の襲撃、略奪からの保護を必要としていた(これは、古代ロシアにおいてごく頻繁に起きた)。一方、公たちと大貴族は、農民が生産する食料と物資が必要だった。こうして、生産と保護が互いに交換されたわけだ。だから、それは相互依存のシステムだった。
しかし、モスクワ公国が発展するにつれ、戦争が繰り広げられ、より多くの人的、物的資源が必要になった。そこで、農奴を統制するために、国はその移動を制限した。1497年以降、農奴は1年間の特定の時期にしか、別の地主のもとに移れなくなった。
1649年には新法典「会議法典」が制定され、自分の住む土地とそれを所有する地主から離れることが完全に禁止された。一方、洗礼を受けた者を売買してはならないことも規定されていたが、17世紀後半から、地主は、土地なしで人間のみを売買する方法を見出していた。
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016 2022/06/16(木) 16:54:44 ID:trgsPcmpSc
>ロシアでの農奴制の形成はかなり遅く、15世紀後半、モスクワ大公国のイヴァン3世のころ、ロシア人農民の中の階層分化が進み、地主と地主に地代を払う農民に分けれ、農民は土地に縛り付けられて恒久的に地代を納めなければならない農奴に転化したと考えられている。また、南ロシアの草原地帯に広く見られるコサックはこのころ、農奴制の締め付けを嫌い、自由を求めて移住した人々の後裔と考えられている。16世紀のイヴァン4世(雷帝)の時代には法令として農民の移動の禁止や逃亡農奴をかくまうことが罰せられるようになり、農奴制が強化された。ロシアの農奴制はロマノフ朝の専制政治(ツァーリズム)を支える社会的基盤となっていった。
さらに1723年、ピョートル1世は、税収入をあげるために人頭税を導入した。その際、農奴の人数分は地主の責任で徴収するとされたので、地主は農奴の掌握を強める必要があり、農奴は地主の許可なしにその土地を離れることができなくなった。このように、西欧の農奴制では14、5世紀から農奴の解放が始まったが、しかし、ロシアではむしろ農奴制の強化が進み、17世紀のステンカ=ラージンの乱、18世紀後半のエカチェリーナ2世の時に起こったプガチョフの乱に代表される農奴の反乱にもかかわらず、農奴の待遇はむしろ奴隷に近い状態に逆行した。
クリミア戦争で帆船を主体としたロシア海軍は連合軍の蒸気船海軍に惨敗、ロシアの後進性が明らかとなり、アレクサンドル2世はロシア社会の近代化改革に取り組み1861年農奴解放令を公布し・・・ロシアの産業革命が始まったが、その上からの改革は、ツァーリズムの圧政に対する反発を呼び覚まし~結果として1881年にはアレクサンドル2世は暗殺され・・・
#やっぱロシアは100年ぐらい遅れとる
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017 2022/06/16(木) 17:01:08 ID:trgsPcmpSc
>ロシアなどの諸外国の農奴と日本の農民、小作農民とどこが違うのでしょうか?
両者は全く違います。というか別物です。経済史を勉強すれば分かります。
日本の農民というのは、元々は自作農です。領地という概念はあくまで徴税権であって、土地の所有とは分離されていました。
農奴制はというと、簡単に言うと、土地の所有と農奴が「セット」なのです。
農奴制だと、農民も地主の所有の対象となるので、たとえば土地を捨てて都会で工場労働者になる(賃金を稼いで内需を主導する消費者となる)とか、徴兵して兵士として活用するといった、近代化に必要だった各種政策を実施することができないのです(これがロシアの近代化が遅れた理由)。
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