>>22 それが判らない人は相当に感度が鈍いか、知的思考力が欠如している人だけでしょ?
至極簡単にいえば
1991年のソ連崩壊で経済的にも軍事的にも国力はどん底にまで落ちたロシア
その後、1994年のブタペスト覚書など一連のロシア側の譲歩によって
西側諸国はロシアに秋波を送り「太陽政策」に出た。
秋波を送って取り込む政策を採った理由の一つは、核兵器をはじめとする
軍事技術が第三世界に拡散するのを忌避したかった!というのもある。
その後は、西側諸国の大規模投資によってエネルギー開発が進み
因みに日本も”西側”の一員としてサハリンに投資などしていた。
ロシア経済は順調に回復し、更に追加策として2002年にはNATOの首脳会議
にまで参加するようになり、一部ではロシアは遂にNATOに加盟か?
かつての冷戦は遠い昔の話だ!と言い出す人まで現れた。
次いで2003年には遂にG7サミットにまで参加し「G8」になった。
ここまではロシア(プーチン)にとっても西側諸国にとっても成功したと言える。
ところが一方では(旧)ソ連邦の国々がドミノ倒しのようにNATOに加盟し
あからさまなロシア離れも進んだ。
元はといえば、バルト3国をはじめ非スラブ、かつてロシアに統治された歴史が
ない国々からすると侵略された歴史なわけで当然の帰結なのだがCIS(独立国家共同体)
として「緩やかな連邦」を目指していたロシアからすると
「西側諸国に唆された」と映った。
この頃からロシアは西側を信用せずに、天然ガスのパイプラインなどを経済安全保障
の人質として使う道を模索し始めた。(これは今回の戦争で功を為す)
つづく
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